【浅草・金寿司】老舗の寿司屋で過ごした幸せな時間
春らしくなってきた日、夜の浅草を歩いていました。午後10時をとうに過ぎていたんですが、夕飯を食べていなかったので(寿司でも食べたいな)と思いながらあてどなく歩いていました。
仲見世の周辺をぶらぶら歩いていると、偶然「金寿司」という小さな寿司屋に出くわしました。瞬間的に頭の中に浮かんだのは、(あの「金寿司」では??)という連想です。
時代小説作家であり、グルメとして知られた池波正太郎のエッセイに「金寿司」という店が出てきます。浅草について書いた一篇で、珍しく女職人がにぎる寿司屋で、安くてうまく、酒もいい、と書いている店です。
iPhoneを取り出して検索してみると、やはりその店でした。夜11時まで営業で、そのとき10時40分。(さっと握りを食べて出れば間に合うな)と思って入ってみました。
お店の中にはお客は誰もおらず、白髪の女性と同じく白髪の男性がいました。
「(食べていっても)大丈夫ですか?」と声をかけて振り返ったその顔は、まちがいなく本の中で見た人でした。
「どうぞどうぞ」と促され、カウンター席に座りました。日本酒を飲む気分ではなかったので瓶ビールをたのむと、
「富山のいいホタルイカがありますよ、生とボイルどっちにしますか?」とつまみを訊かれたので、ちょっと迷っていると、
「じゃあ半分ずつ用意しますね」と気さくに用意を始めました。
そして出てきたのがこれです。
旬の素朴な味わいでビールがすすみます。閉店まで時間がないこともあって、「上握り」一人前を注文すると、ご主人は準備を始めました。僕はお店の人と話をするのが好きな方で、かつあの「金寿司」となれば話さないわけにいかないと思いました。
池波正太郎のエッセイを読んでお店のことを知っていたと言うと、ご主人は楽しげに話し始めました。
・池波正太郎の他に、吉行淳之介や山口瞳が通ってきていたこと。
・池波正太郎は田舎のお父さんのような人だったこと。
・たまに編集者など関係者とやってくると、みんなが話をしているときに、そっとお会計を済ませる気遣いの人だったこと。
なんかを語ってくれました。昭和50年代の作家達のエピソードを聞いていると、楽しくてしかたありません。それにこのご主人は会話がとても上手。会話を楽しみながら出される握りをつまみます。
ネタをそのままにぎるのではなく、隠し包丁やちょっとした工夫をほどこすいわゆる「仕事を加える」江戸前の寿司を楽しみます。
・昭和20年3月の東京大空襲で浅草周辺はみな焼けてしまったこと。
・金寿司は昭和2年創業だが、浅草では100年は経たないと一人前ではないこと(!)
・店の中に屋台のような意匠をほどこした屋台づくりは、もう施工できる職人がいないこと。
そうした会話がどれも貴重でいつまでも話していたいほどでした。握り10貫も食べ終わったし、遅くなると申し訳ないと思っているのですが、ご主人はまったく気にする様子もなく話し続けます。
さすがによくないと思い、キリのいいところでお会計を頼みました。2900円なり。いまどき回転寿司でももっとしますよね。驚くやら申し訳ないやら。時間はなんと11時45分くらいでした。お客さんがいる限り店は閉めないという昔気質の素敵なお店でした。