【古代ローマの教え】人生長いか、短いか。
2015/11/20
セネカ著。岩波文庫刊。
徳島ラーメンのレビュー記事の後で、古代ローマの人生哲学というのも振り幅が広いと思いますが(笑)セネカが好きなので書きます。
セネカは古代ローマの哲人で、政治家です。アリストテレスやソクラテス、プラトンといった人たちと比べて、知らない人も多いと思います。
またセネカは皇帝ネロを教えたブレーンでもあり、最期は教え子であるネロに自殺を強いられるという非業の死を遂げます。
この本は、「人生の短さについて」と「心の平静について」と「幸福な人生について」という3つの書簡の内容からなっています。農作物の所蔵の管理をする役人で、年下の友人パウリヌスにあてた書簡です。
「人生の短さについて」の冒頭で、セネカは意外な言葉を記しています。
「人生は短いのではない。人が人生を浪費しているから短いのだ」と。
セネカは、人生の時間を浪費している人々をこんな風に表現しています。
・世の中には飽くことを知らない貪欲に捕らわれている者もいる。
・無駄な苦労しながら厄介な骨折り仕事に捕らわれている者もある。
・酒びたりになっている者もあれば、怠けぼけしている者もある。
・他人の意見に絶えず左右される野心に引きずられて、疲れ果てている者もあれば、商売でしゃにむに儲けたい一心から、国という国、海という海の至るところを利欲の夢に駆り立てられている者もある。
・絶えず他人に危険を加えることに没頭するか、あるいは自分に危険の加えられることを心配しながら戦争熱に浮かされている者もある。
・有難いとも思われずに高位の者におもねって、自ら屈従に甘んじながら身をすり減らしている者もある。
どうですか?快楽に溺れる人、ブラックな仕事で疲弊している人、野心の奴隷になっている人。現代に生きている人で、このどれにも完全に無縁と言える人は多くはないのではないでしょうか。それだけに、セネカの言葉はグサっときます。
「生きるのを学ぶほど難しいことはない」
「心が雑事に溺れていると、何事も十分にすることができない」
「自分の時間を何よりも大事に使え」
セネカは、「毎日毎日を自分の最後の日と思い」、「いかに生きるべきかを学ぶこと」を大事なことだと考えていました。
セネカの考えをざっくりまとめると、
将来の高い地位のためや、将来の隠居生活など、生きる目的を未来に置くと、いつまでも幸せにはなれない。いざ、それらが実現した時には、自分の人生からいかに多くの時間が過ぎ去ってしまったかを嘆くだけになるから。
だから、人間は常に今を全身で生きるべきで、生きることそのものの探求のために生きるのが、最も崇高な生き方なのだ。
ということになるかと思います。これも極端な言い方ですが、立身出世や金銭的成功をゴールに置く自己啓発とは価値観が違い、今を充実させようとする斎藤一人さんの側に近いかもしれません。今日が自分の最後の日かもしれないと思い、悔いのないようにがんばる。それも自分の幸せを第一に考えて。日々の忙しさの中では、認めるのが難しい考えだと思います。でも、正しいのはこちらだと僕は思うんですよね。