世界最高のバトル:1983年の二輪世界GP
2015/11/05
僕は、どちらかというと二輪より四輪のレースの方が好きです。でも、1983年のフレディ・スペンサーとケニー・ロバーツの戦いは、ロードレース史上最高のバトルとして記憶に残っています。
つけ入る隙がないほど強い、「キング」ケニーとヤマハのコンビネーションに対して、ホンダは「天才」フレディ・スペンサーと独創的なマシンとで戦いを挑みます。
1982年まで4ストロークのマシン=NR500で挑戦を続けていたホンダでしたが、3年間で1勝もできず、営業など各方面からの「レースに勝たなければ、イメージが下がる」というプレッシャーに耐えかね、「勝つこと」を最優先にしたマシン作りに取り組みます。
そこで生まれたのが、伝説的なマシン=NS500です。今回は、このマシンのどこが常識破りだったかの話です。
NS500が画期的だった点は、直線のスピードをいたずらに追わず、サーキット1周の速さとレース全体の速さを考えた点にあります。このあたりの考え方は、僕にはゴードン・マーレイと重なって見えます。
朝霞研究所内で、モトクロスマシンの開発に関わっていた宮腰信一がこのマシンのコンセプトを考え出します。それは、「350ccクラス並みの軽量・コンパクトなマシンで500ccに勝つ」というものでした。
350ccと500ccのマシンでは、実はラップタイムは大きく変わらない。最高速をどれだけ上げるかよりも、サーキット1周をどれだけ早く回るかに焦点を絞って、コンセプトの煮詰めが始まりました。
・コンパクトなマシンなら、前面投影面積、つまり空気抵抗が減る。
・ライバルより軽い車体なら、コーナリングで有利になる。
・コントロールしやすいエンジンと、強力なブレーキを備えれば、ライダーが意のままに操れる。
エンジン至上主義のホンダにあって、宮腰の考え方は革新的でした。「世界で一番軽くて小さい500ccマシン」これがNS500のコンセプトとなりました。
2ストロークV型3気筒。ライバルが当たり前のように4気筒エンジンを採用する中で、あえて1気筒少ないエンジンでコンセプトを実現する。
アメリカの滑りやすいダートトラックで、天性の才能を磨いたスペンサーが自在に操れる運動性能の車体。
これらが相まって、NS500は素晴らしい走りを見せます。高速サーキットで有利なケニー・ロバーツとヤマハ。テクニカルなサーキットで有利なフレディ・スペンサーとホンダ。両者ががっぷり組み合って、いよいよ9月4日の最終戦を迎えます。場所は、サンマリノ共和国のイモラサーキット。11年後、アイルトン・セナが命を落とすサーキットです。
長い長いシーズンの末、スペンサーとNS500は栄冠に輝きます。当時、スペンサーは21歳。パワフルなエンジンと熟成の進んだ車体、そしてレース巧者のケニー・ロバーツの盤石の組み合わせを、若き天才ライダーと独創的なコンセプトが破った瞬間でした。
レースというのは、実は保守的な世界です。経験がモノを言うし、その経験で実証された技術を使い続ける世界です。関係者の多くは職人肌で、新しいモノを簡単には取り入れません。だからこそ、時々現れるNS500のようなイノベーションが際立って見えます。
二輪も四輪も、時代の大きな転換期にあります。ホンダには、かつてのような革新的な魔法を見たいですよね。