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なぜ、メルセデス・ベンツは他の自動車会社と違うのか?

      2015/11/05

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企業にとって、「なぜその事業をするのか?」という疑問に答える大義が大事だということは、これまでいくつかの記事で書きました。マーケティング用語で言えば、「ミッション」ということになると思います。

でも、個人的には「ビジョン「ミッション」「ミッション・ステートメント」みたいにブランドのアイデンティティを要素分解して語ることが好きじゃありません。なぜかって、マーケティング・ファッションな感じがするからです。社内関係者の目線合わせにはこういうフレームワークが必要なんですけどね。

さて、今回はメルセデス・ベンツの話です。世界最古の自動車メーカーにして、マークに表現されている通り、「陸」「海」「空」の三界に事業を展開する企業でもあります。

自動車評論家の故・徳大寺有恒さんが「何はなくともメルセデス」という名言を残していますが、それだけ尊敬されている自動車会社なんですね。アップルと同様、ブランドというのは基本的な哲学の上にエピソードが重層的に積み上がってできあがるもので、メルセデスにも多くのエピソードがあります。

「最善か、無か」

長くメルセデスの哲学となっていたスローガンです。最善のものでなければ、形にしない、世に出さないという決意を表しています。また、自動車にとって良い発明であれば、自社で独占しないという考え方も知られています。たとえば、このテールランプのデザイン。

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段差がついていますよね?これは、雪や泥が付着しても、後方からの視認性を維持するためのデザインです。冬や荒天のアウトバーンを走行する車両にとっては特に重要だったんでしょう。メルセデスは、この段差付きテールランプの特許を取りませんでした。「他社にも採用してもらいたい」と言って、独占しなかったんですね。

「出る以上、必ず勝つ」

メルセデスのモータースポーツ活動に対して言われた言葉です。エントリーするカテゴリーを徹底的に研究して、圧倒的な性能差を確認してから出場する。だから、メルセデスが出る以上は、必ず勝つ、という意味です。たとえば、第二次世界大戦の敗戦でしばらく自動車レースから遠ざかっていたメルセデスは、1954年にF1グランプリに復帰します。

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予選で1位、2位を独占。決勝もワン・ツーフィニッシュ。この年6戦して4勝します。次の1955年は、5戦4勝。勝率80パーセントです。しかも全部ワン・ツー。驚くべき記録です。ですが、この1955年、モータースポーツ史上最悪の惨事が起こってしまいます。

「30年間のレース活動凍結」

1955年のル・マン24時間耐久レース。レース開始2時間過ぎに、ジャガーとオースチン2台の走行ラインの交錯があり、ピエール・ルヴェーのドライブする300SLRがオースチンに乗り上げ、宙に舞い上がったマシンは、観客席の近くに落下します。爆発したマシンの破片が、観客席にまるで炸裂した砲弾のように飛び込み、80名以上が亡くなります。

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これは、現在までのモータースポーツの歴史で最悪の事故と呼ばれるもので、メルセデスはレース活動から撤退。以後30年間、レースに出ることはありませんでした。事故の原因そのものは、レーシングアクシデントと考えられますが、メルセデスは社会的責任を取ったのですね。

最古の自動車メーカーとしての自負。最高でなければ世に出さない。それが車にとってよい進歩なら、アイデアも独占しない。原因がどうあれ、車が大勢の人の命を奪ってしまったら、その責任を取る。

メルセデスというブランドは、高価格とか、高品質、とか、ステータスシンボルとか、そういう表面的なイメージで生まれたのではないんです。だって今の時代、品質や性能は各社そうとうなレベルですから。ブランドをストーリーで論じる人もいますが違います。どのブランドだってそれなりのストーリーがあるからです。尊敬されるブランドには、尊敬されるだけの信念があるんだと僕は思いますね。

 

 

 

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